綱敷天満神社の由来:なぜ「綱敷」なのか?
綱敷天満神社という名前を聞くと、「綱敷(つなしき)」とは何を意味するのだろう?と疑問に思う方もいるかもしれません。
実はこの名前には、菅原道真公が神戸の地を訪れた際のエピソード が深く関わっています。
平安時代—左遷される道真公の旅路
時は 西暦901年(延喜元年)。

菅原道真公は、朝廷内の政争により無実の罪を着せられ、都・京都から 九州の大宰府 へ左遷されることになりました。
この旅は、現代のような新幹線や飛行機があるわけではなく、船や徒歩での長い道のり。
道真公は、瀬戸内海を渡りながら西へと向かう途中、現在の兵庫県神戸市東灘区 石屋川のあたり に立ち寄ったと伝えられています。
□「敷物がない!」村人たちの知恵
道真公を迎えた村人たちは、「せめて座る場所を用意しなければ!」と考えました。
しかし、当時の庶民が貴族をもてなすための 豪華な敷物(座布団や畳のようなもの) を持っているはずもありません。
そこで村人たちは 船に使われていた「綱」を丸く並べて座る場所を作り、道真公をお迎えしたのです。
この 「綱を敷いて座る」 という出来事が、この神社の名前「綱敷天満神社」の由来となりました。
道真公は、村人たちの温かいもてなしに感謝しながら、しばしこの地で休息をとったといわれています。
□ 由緒ある地としての神社の創建
その後、道真公が亡くなった後に「天神様(学問の神様)」として信仰されるようになり、
彼が立ち寄ったこの地にも 綱敷天満神社 が創建されました。
境内には、「綱敷の松」と呼ばれる松の木が植えられ、道真公が腰を下ろした場所として今も大切にされています。
この 「綱を敷いてお迎えした」 というエピソードは、全国の天満宮の中でも非常に珍しいものであり、
神戸ならではの歴史的な背景を持つ神社として、今も多くの人々に親しまれています。
まとめ:「へぇ、そんな話があったんだ!」
・菅原道真公が左遷の途中、現在の神戸・石屋川の地に立ち寄った
・村人たちは「座る場所を用意しなければ!」と考え、船の 「綱」を円形に並べて もてなした
・その出来事がきっかけとなり 「綱敷天満神社」 という名前がついた
・道真公の死後、この地に天満宮が建てられ、学問の神様として信仰されるようになった
「学問の神様」として有名な菅原道真公ですが、彼の人生は 波乱万丈のドラマ そのもの。
そんな道真公の足跡を感じられる 綱敷天満神社 は、受験生や歴史好きの方にとって、まさに「訪れる価値のある場所」と言えるでしょう。
次は、境内の見どころや、訪れた際にチェックすべきスポットをご紹介します!